駆け引き

私は駆け引きが大嫌いだ。

諦めたら手に入る法則とも通じるけど、こちらが引っ込めたら追いかけてくるという現象が苦手でしょうがない。
一体何がしたいんだ!?
会社との駆け引き、夫との駆け引き、こちらが計算してるわけでもないのに、時々起きるこの現実。
いや、わかってる部分もある。
思い通りにならないから、腹が立ってるだけなんだ。執着とは、いかんともしがたいものだと思う。素直に喜べばいいんだろうけど、ようやく諦めたもの。それはもう、本当にいらないものなのに。この、絶対いらない!という気持ち自体が執着なんだろうか?

一方で、上手に執着を手放して、運が巡ってきた事もある。
私は一昨年の年末、仕事をやめる決意をした。
仕事と言っても雇用ではなく請け負いの仕事で、担当地域を貰い商売をする形式。
私は成績がよい方だったが、なかなかよい地域を貰えなかった。
これは会社の判断としては当然の事で、難しい地域ができる人間と、出来ない人間がいたら、できる人間に難しい方を与えなければ、成り立たないから、ある意味仕方ない。
でもこれだと、できるようになると、苦労するだけなのだ。
努力の結果、さらに苦労する。こんな理不尽は無い。当然不満か募っていたが、直属の担当から、うまい事を言われて、いつか報われるだろうと頑張っていた。
しかし、その担当がクズだった。優良地域が空いた事を知らせてきて、その上で悪い地域を持てという。優良地域は、仕事が出来ず、時々私も助けに入る人にあげると言う。
これは会社が決めた事だから、という担当の目は泳いでいた(笑)から、私は会社まで事実を確かめに行った。
後はお察し。全て担当が勝手に決めた事だった。
この仕事は自営と同じで融通がきき、定年もない仕事だったから、本当はずっと続けたかった。ほかに掛け持ちしても十分できる自信もあったから、私も執着があった。
しかし、もういいや!私頑張った!やめて他に仕事を探そう!と切替たら、友人から電話で食事のお誘いがあり、やめる話をした所、今の仕事に誘われた。
時給ハイパー高額、手当充実、ボーナスつき。もちろん過酷だけど、私が得意な過酷さ。
これは、いい引き寄せが出来たパターンかな、と思っている。
その後夫がクビになったのだけど、その時も、違う会社から、空いてる時間だけでokの仕事を頂いた。これもなかなかの高給。

私は3月に家を売り、夫の住む街へ引っ越す。
この2つの仕事も辞めなければならない。
何と言う不運。
だけど、これだけの不運が来たのだから、プラスに切替たら、すごい幸運がくるんじゃないの?
引き寄せの法則に感謝。
今は、執着を捨て、ワクワクしている。

諦めると叶う法則

これね。
本当、辛いのよ。
辛いを通り越して、腹が立つ。

執着を手放したら手に入る法則なんだろうけど。
「今更何よ!」と思ってしまうワタクシ。
人に対しても、運命や環境に対しても。

まず夫。
夫は結婚してから誕生日プレゼントをくれなくなった。
まだ若い頃は、不満だったり悲しかったり。
カネがないからあげられない、と言うけれど、毎週馬券を買うカネはあるだろー!と腹が立ち。

しかし、もういらない!と思った途端、毎年プレゼントをよこすようになった。
いらないのに。
本当にいらないのに。
定番は靴。サイズは合っていても、形が合わなくてはけない靴。見た目冬靴でも、底がつるつるで、北国でははけない靴。
どんなにお断りしても買ってくる。

この現象は一体何なの?
少し前までは、新手の嫌がらせかと思ったり(笑)

最初の頃、貰えない頃はコントロールに失敗して腹が立ってたんだろう。
しかし、諦めてからのプレゼントは一体何?
諦めたら手に入る。
けど、私に受け取る力がないから受け取りきれていないだけ?
下駄箱に入ったままの靴を見て、夫も気分が悪いだろうなと思う。
何より困るのは、その靴がある限り、新しい靴を買う理由がない事。
言い訳しないとモノが買えない私には、とんでもないハードルになってしまう。
今年は夫の失業で、プレゼントどころではなかったから、本当に助かった。

諦めたら手に入る法則は、時々とても腹立たしい。

これは、私がコントロールできないから、腹が立つのか。
上手な諦めかた、執着を手放す方法、それが手に入った時の対処を知りたいと思う。

罪悪感1

私は、自分の買物ができない。
自分のものを買う時は、目一杯言い訳しながら買う。服も、化粧品も。
当たり前だけど、買物が全く楽しくない。
これは、アファメーションで絶対に改善したい所。

この罪悪感はどこから来るのか。
遡って考えてみたら、楽しく買物出来たのは高校生くらいまで。
高校生卒業後、すぐに彼氏と同棲しはじめた私は、働かないヒモ彼氏のために、かなり若いうちから「犠牲者」になっていた。
今の夫にも、貢いで貢いで、我慢できなくなって、何度か別れている。
なのに夫と結婚したのは、もうお金で苦労させないと言った夫の言葉を信じたわけではなく、私にとっての結婚は、虐げられ、お金で苦労するイメージで、そのイメージにあった行動をするだろう夫をわざわざ選んだのだろう。
結局、私の潜在意識の通りの現実になっている。

ただ、私にも言い分はある。
家事もやらない、子育てしない、自分は使い放題。挙げ句に転勤で私はまともな仕事につけない。
主婦として完璧を求められ、女性として完璧を求められ、理想通りじゃないからと浮気され。
自分の食い扶持全て自分で稼いで、その上家族の面倒全てみて、キャバ嬢なみに美しく、なんて。
そんなの本当、無理だから(+_+)
私は聖母じゃないぞ。

勿論私にも落ち度はある。
どんなに節約したって、私は洋服一枚買えない。買うと余裕があるとみた夫が、ますます金を使うから。
子供のお下がりを着て、穴が開いた下着をはいて、万年着たきり雀。
夫が文句を言わないのは食べ物だけだから、その分食べ物は我慢しなかった。結果、太った。痩せろと言われても、痩せていい事なんて何もない。
少し痩せただけで、夜の回数が増える。
他人様に出し入れしたものを受け入れる不快感と、数日続くフラッシュバック、鬱状態
痩せる事は、悪い事しか起きない。

今回、夫がクビになった事でよかった事は、
独身時代の体重に戻った事と、夫が単身中だという事。フルで働ける事。自分の食い扶持を自分で稼ぐ満足感。

なんだ、いい事たくさんあるじゃないか(笑)
それもあと3ヶ月だけど、自分を取り戻すチャンスを貰えた事に感謝。

それでも、お金を使う罪悪感は消えない。
服はもとより、化粧品すら中古しか買えない。
どう改善すればいいのか、いまだにわからない。

母の鬱病

齢70を超えた母親は、去年鬱病の診断を受けた。
診療内科で診断した所、発症したのはなんと26歳くらい。私が1歳の時である。
母は、人生の大半を鬱状態で生きてきて、私は鬱病の母に育てられたわけだった。
歪んだ親子関係は、私のせいでも、母のせいでもない。鬱病のせいだった。
正常な判断が出来ずに、呼び込み選んだたくさんの不幸。私も家族も苦しんだ。
因縁なんかじゃない。
誰も悪くなかった。
もう自分や母を責めなくていい。

まとめ
心の不調は即病院へ!

宗教まとめ

ここで私の心に一区切り。

不幸は業や因縁で起きるわけではない。

不幸はそれこそ天気のように、時々降ってくる。
身勝手や自分の悪意で起きる不幸は、反省して正せばいい。
身に覚えのない不幸は、天災なのだ。
晴れたり降ったり、人間にはどうにもならない天の勝手。降ったらプラスを起こして運を呼び込めばいい。
反省なんてしなくていい。
自分と切り離して考えていい。
自分に何とか出来るなんて、傲慢なのだ。

降ったら降ったなりにやり過ごす
それを繰り返して生きていけばいい。

ここまで書くと、私が宗教まるまる否定しているみたいだけど、そうでもない。
やっぱり、宗教観は必要だと思うから。
いい事をしたら天国、悪い事をしたら地獄行き。形式だとしても、葬儀をして区切りをつけないと、前を向けない人もいる。葬儀なんて残された人のために行うものだと思うし。
祈ったり、感謝したりする時間を作るためにも、宗教はあった方がいい。
ただ、宗教のための宗教にならないよう、話10分の1くらいの信心にしておきたい。

なぜ信者はいい人でいなければならないのか

宗教への疑問が尽きませんな!笑

善悪の物差しはその人次第。
だから、善悪の判断が厳しい人ほど苦しむのが宗教の道であると思う。
夫のように、「このくらい大丈夫だろ」の基準がユルユルな人は、それこそアッサリと引き寄せが出来てしまう。そもそも行動に悪意がない。悪意がないけど、周囲が苦しむ。
しかしその苦しみも、自分と切り離しが出来ているからノンダメージ。うらやましい。
若い頃から苦労するのはよいことだけど、苦労とダメージは違う。成長過程でダメージ受けてる人は、宗教でも癒されない。
幸せな人がさらに幸せになり、不幸な人がさらに不幸になるのは、宗教に入っても変わらない。幸せ不幸せは、本人の心が作るからだ。

宗教では、特に新興宗教では、よい人になるよう諭される。常識的に、法律的に。
これはやはり、布教のためだろうなと思う。信者自体が広告なんだな。
羨ましがられるほど幸せだったとしても、人に好かれるかどうかは別問題。
誰も嫌われ者に相談などしない。
いい人を求められるのは、宗教団体のためだろうと思う。