なぜ信者はいい人でいなければならないのか

宗教への疑問が尽きませんな!笑

善悪の物差しはその人次第。
だから、善悪の判断が厳しい人ほど苦しむのが宗教の道であると思う。
夫のように、「このくらい大丈夫だろ」の基準がユルユルな人は、それこそアッサリと引き寄せが出来てしまう。そもそも行動に悪意がない。悪意がないけど、周囲が苦しむ。
しかしその苦しみも、自分と切り離しが出来ているからノンダメージ。うらやましい。
若い頃から苦労するのはよいことだけど、苦労とダメージは違う。成長過程でダメージ受けてる人は、宗教でも癒されない。
幸せな人がさらに幸せになり、不幸な人がさらに不幸になるのは、宗教に入っても変わらない。幸せ不幸せは、本人の心が作るからだ。

宗教では、特に新興宗教では、よい人になるよう諭される。常識的に、法律的に。
これはやはり、布教のためだろうなと思う。信者自体が広告なんだな。
羨ましがられるほど幸せだったとしても、人に好かれるかどうかは別問題。
誰も嫌われ者に相談などしない。
いい人を求められるのは、宗教団体のためだろうと思う。