大きな後悔

私の両親は離婚している。
父は酒乱で、それが原因で母と子供が出て行った典型的なパターン。
今でこそ分かるのだが、父には自閉症の傾向があったと思う。コミュニケーションが苦手で、親の支配も強く、数学の天才でありながら、大学進学を諦め、親の命令で大手企業の地元支社への就職をした。
仕事はできる人だった。私が小さい頃は、近所の人から「あなたのお父さんがいなければ、ここの工場は動かないのよ」なんて言葉も何度もかけられている。
だから小さい頃は、怖くて近寄りがたい人でもあり、誇りでもあった。

ここからは私の想像だが、母親から断片的に聞いた話では、父は学歴の壁にぶち当たってから変わってしまったらしい。
自分より勉強が出来なかった人が、大卒というだけでどんどん出世する。どんなに仕事が出来ても、出世は頭打ち。30代前半で、高卒でつける最高の役職になってしまい、あとは他人の幸せを指をくわえて見ているだけしかなくなってしまった。そこで酒に溺れ、仲間に見捨てられ、家族に当たり散らし、家族まで失った。また別に書きたいが、母はそれこそ依存とコントロールの人で、父を理解する事が出来なかった。母はその後自営で成功する事になるので、この離婚が間違いだったかどうかはわからない。私は父と一度も会っていないので、詳しい事はわからないが、子会社に出向になり、定年まで働いたらしい。

父の後悔は、大学に行かなかった事。それを親にぶつけようにも母親に逆らえず、妻にぶつけた。妻、つまり私の母親は大卒だったから、思いを共有する事も難しく、大卒への恨みを全てぶつけていた。母親としてはたまったものではない。一度、会社から大学進学の話があったらしいが、それも子供がいたから断念したそうだ。それは私たち姉妹への憎しみに変わったのだろう。私は小さい頃から、お父さんはお前のために大学に行かなかったと聞かされていて、テレビも漫画も遊びも禁止で、壁に貼られたスケジュール通りの生活。テストの点数が悪い時には、トイレの回数まで制限された。高学年の時にはとうとう病んでしまい、吃音、抜毛症、挙げ句いじめで胃潰瘍になった。
やっと母親がいけにえ状態の私を解放すべく父とケンカし、私は勉強から解放された。この時母はすでに鬱を発症していたはずなので、母に対する恨みはないが、お金がないからと、参考書の1冊もなく勉強させられていた私に対し、妹はピアニストの門下生だった。妹は勉強をさせられる事はなく、全てが自由だった。父は、私に自分のなってしまった人生をトレースさせ、妹に自分がなりたかった自由な人生を与えた。
兄弟間の激しい格差。これは虐待の構図だ。

中学生になり、自由を手に入れた私は今度は徹底して放置され、ホットロードな道を歩んだ。しかし、基礎的な勉強は出来ていたため、ほどほどの高校には入る事ができ、働く自由を得た私は、バイトにあけ暮れた。
母がこの時期の事をよく口にするが、自分で稼いで自由に生きる手本、束縛から逃れて自立する見本を見たと言う。私は単に子供だっただけなのだが、ここで母は目が覚めて、父に依存する生活をやめ、自営で商売を始めた。母は大学のミスコンで優勝した事もある美人だったので、商売はすぐに繁盛。父は虐げる対象がなくなり、ますます荒れた。「食わしてやっている」が全く使えなくなったからだ。荒れた果てに、借金をし飲み歩き、母の稼ぎを食いつぶした。
ここで母が立ち直ったように見えるが、そうではない。母の依存とコントロールが私に向けられただけだった。

後半へ続く!笑